刺身を食べる

昨日は同僚の先生と新年度違う学校に行ってしまう講師の先生と飲みに行ったのですよ。

 

そもそも3人とものんびりしたタイプなのだけど、白子ポン酢と刺身の盛り合わせが出て来たときに、A先生が白子についてきたポン酢らしき皿に刺身のワサビを混ぜ始めたんだよね。

 

それ刺身用の醤油ちゃいますよ〜って笑いながら醤油皿を配って、卓上の醤油を差して、あら〜間違えたわ〜、なんて笑ってたんだけど。

 

その醤油に刺身をつけて食べると、なんとなく醤油が薄い気がして、変だなぁと思っていて。

 

そしたら卓上に生醤油って書いてある醤油を見つけて、あ、こっちが刺身用の醤油じゃないの?なんつってそっちの生醤油つけたらやっぱり味が濃くって、やっぱり生醤油は違うねぇと話していたら、ずーっと黙ってたもう1人の先生が、さっき醤油だって入れてたの、、、ソースですよ、、、って言って、えぇっ?っつって舐めてみたらやっぱソースだったわ。

 

っつーお話でした。

TEDx見たよ 日本で宗教戦争が起きないわけ 松山大耕さん

日本の宗教の寛容性について、それを世界に発信することで本末転倒な争いはなくなっていくのではないかというお話でした。

ラジオの相談コーナー「八時だよ神仏(?)集合」は、リスナーの悩みにお坊さんと神主さんと牧師さん(神父さん?)がそれぞれ答えるという相談コーナー。

駅伝の発祥地、京都発の「宗教駅伝(かな?)」は、いろーんな宗教、お坊さん神主さん牧師さんからイスラム教の方までがあつまり、宗教対抗ではなく、ミックスしてタスキを繋ぐというもの。

こういうのは会議室でやっていても人の目にも触れないけど、駅伝にしてしまえば市民も一緒に参加できるし、注目度も上がって周囲にやっていることを発信することができる。

しかも、走らなければいけないので、自然と若い宗教者が世界中から集ってきて話ができる、と。

この駅伝の動きが、ヨーロッパにまでも広まっているとのことでした。

どうしても「多様性」ってキーワードで見てしまうんだけど。
こういう多様性について、色んな方向から実践というかたちで、独自の切り口を持って取り組んでいくことが大事だなと感じました。
そして動いている人は世界中にたくさんいる!そしてフェイスブックのお友達の中にも、尊敬しているDoer(実行家)がたくさんいます!

自分はどうだ?Watcherなのか?まだわからない!

でも、Watcherであることも、量子力学の話でも(そうなのかな??)、僕らの使う「観察課題」をやっている感じでも、実は世界に影響を与えているのはまったくもってその通りなことなので。

自分のやっていることを大事にして、栄養を与えて豊かなものにして、じわじわと世の中に還元できるようになっていけばいいなと思います。
あと自分なりの切り口を持つことだよね。

それと、仕事の生徒向け、保護者向けの通信物について、実は今年は1回しか発行していない。

これは、学校以外のあるところから、学校のフォーマットに合わせろとあれこれ直しが入り、いかにも学校的なものになってしまったことがあり、「こんなんじゃ俺が出す意味ないわ」と思ってしまいどうにもやる気がなくなってかけないでいたのだけど。

でもそのあれこれ直しが入ったところの通信物を作っている様子を見ていると、何重にもお互いでチェックを入れ続けて、なるほどな〜丁寧だわ、と思い、これはとりいれつつもう一回やってみよう、と思うようにやっとなってきておりまして。

(今まではどんだけ自由にやらせてもらっていたのかわかりました;)

でも定期的に出すのなら、なんかコンテンツがあると安定するし・・・TEDreportなんていいんじゃないの??とか思いました。
動画へのQRコードつきでね。

仕事の内容にはキャリア支援も入っているし、人文社会、スポーツに芸能、心の話や医療の話、芸術の話といくらでもコンテンツは在るもんね。

とか思ってます。

そしてTED研究して、話し方、伝え方、パフォーマンスの見せ方も上達し・・・最終的には・・・・一挙一徳でがんばります。

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「森俊夫ブリーフセラピー文庫② 効果的な心理面接のために」

遠見書房から出ている「森俊夫ブリーフセラピー文庫② 効果的な心理面接のために」がやっと手元に届いた。

 

東豊先生が、面白すぎて仕事進まず困った、と。社長に文句言ってくれ!とSNSに書いていたので、山内さんに文句を言いに行きたいと思います。

 

そいで「知り合いばっか出てるからめっちゃ面白いけど、ぜんぜん知らない人が詠んで面白いのかな?」というような心配をされていたのですが、

 

5ページ読んでみて分かったよ。

 

難しい精神分析の本とかとは全く違う意味で、話している内容のレベルが高すぎて、というか発想の枠自体をとっぱらっていこう、っていうくらいの気概を持って、しかも絶大な質と量と発想の臨床体験の積み上げが前提としてあった上でお互い話しをしているから、「はいはいそーだよね〜」ってツーカーで分かるレベルの人にとっては、そりゃ仕事が手につかないくらい面白い本だと思うけど、実際に森先生に教わったこと(Kidsで研修受けたこと)があったり、ブリーフの考えで臨床をやっていても、相当に背伸びしながら、うんうん考えながら読んでいます。

 

でもね、臨床的エッセンスの宝庫だよ宝庫。宝島ですよ。

 

僕みたいな人間でも、雷に打たれたように、そうかっ!そうだっ!って思う部分がいくつもあって、森先生は「演劇で大事なことと臨床で大事なことと一緒だよ」っていうようなことをすっと言ってらっしゃるんですけど、それはざっくり書くと、まずどこかに人が集まって、何かする人と見る人がいて、一定の時間そこで共に過ごして、肉体そのものを媒介にコミュニケーションをとって、その中でなにかが起こって、そんで別々の岐路につく、こういった演劇の本質や特質の多くの部分が心理臨床にも重なるでしょ、って話なんです。

 

まえこの話、というか演劇と心理臨床に関する論文を読んだときに、この部分は構造のこととして捉えてなるほど、と思っていて。どっちかというと、その中で非日常を体験する、暗闇の中でパッと襟首を急に掴まれるような体験がないと、みたいなところに「あっ、そうか〜」と心惹かれていたのですが。

 

今日その部分読んだら、構造の話じゃなくって、心理療法という行為そのものの目的をそこに置くくらい、誤解を恐れずに言えば、それ以上のことはしたらあかんし、本当にそこだけをやるだけを目的にしなさい、っていうふうに、ズドーンと来たんですよね。

 

もう、超ミニマムにそこだけに集中しろ!みたいな声が聞こえてきた感じ。

 

なんか最近調子悪いというか、前のほうがすっといってたのにと思ってたんだけど、今は目の前の相手のニーズだとか、学校のニーズだとか、利益の最大化とか、あんな介入やこんな介入や考えて、自分はできるだけ裏に回ってとかいろんなことあれこれ考えすぎていて、でもそれはあれこれと目的を膨らめすぎていて、うまくその場で起こったことを相手と体験として共有することができなくなっていたのかなと。

 

あたまでっかちってこと。

 

その場に来たときと帰るとき、そもそも同じ人間でいるはずがない。

 

そこだけに集中したときに何が起こるのか?今までは欲をかいて筋肉つけたけどキレが無くなってる〜みたいな状況。

だからコアトレだよね。

 

そして自分の相談室でやってるとき、これ学校でSCとしてやってたらすぐ良くなるのに、先生方や学校の力使って環境調整できんのは辛いわ〜、俺面接下手くそんなったな・・・とか思ってたけど。

 

自分の相談室ではバックに守りがないから、というか協力して相手を守ってくれる仲間がいないし環境がないから、知らず知らずのうちに無難な手ばかりを選択してしまっていて、思った通り、その「場」で生まれた発想や相手を信じてズバッと大きく踏み込めなかっただけだったんだ、というふうに感じました。

 

怖いけど、信じて踏み込まないと、逆に何してるのかわかんなくなっちゃうってことなんだね。。。

 

難しさを感じつつ、宝島探検を続けます。

髭と、ほ・おのぽの?

この前の髭の話。
どうしてもやっつけるためのことばかり考えてイライラしてしまっていたんだけど、そういうのってどううまくやったって攻撃にしかならなくって、違う方法考えてやっぱりなくって笑

そう、やっつけようと思うと攻撃になっちゃうよね。

なので、とりあえずその人が今生きていることについてはリスペクトして、いや尊厳を大切にしようと。
そんでもって、なんか言われたら、その背景も含めた考え方を理解しようと、そこまで思ったら髭くらい剃ってもどっちでもえぇか!ってくらいの気持ちになったのだけど。

まぁやっぱりそうなったら向こうも変わってました、やっぱり。
穏やかで丁寧になっていましたよ。

髭は結局剃らなかったけど、切れる限り短くしといて、でも何も起こらなかった。

ハワイのホ、オノポノ(だったかな?)だったり東先生のP循環の話になっちゃうけど、結局、自分に見える世界は、自分の内面の世界の投影でしかないので、嫌な世界が見えてたら、自分の内面をクリーンにすることで、当然眼に映る世界が変わってくると。(ブータンでもお坊さんが輪廻図を示して、ガイドで偉いお坊さんの化身のソナムさんそんなはなしをしてくれてたっけ、クルマ買ったらまた新しいのが欲しくなって、最終的にランクルが欲しくてたまらなくなる、その心が地獄だって)

でもその内面をクリーンにするのが、いろんなこだわりやすがってる価値観を捨てて自分と向き合うことだからなかなか難しくて。(ホ、オノポノはすごくシンプルで誰にでも出来る方法を教えてくれてる)

今回は、結局、髭、を手放すことがキーだったのかなと。
いやいや、髭は生やしたままだけど、別に剃っても生やしてもどっちでもいいよ、ってとこまでいけば、生やしてても別に何も問題になることは起こりにくくなるというか。

あ、お坊さんが弟子の前で川を渡るのに難儀してる女性を抱いて川を渡って、その後でお弟子さん達は悶々としてて(戒律で女の人に触っちゃダメだから)、とうとう弟子の1人がそのことをお坊さんに尋ねてみたら、そのお坊さんが「なんじゃお前達まだあの女性を抱いておったのか」っていう話に似てるかな?
確かセラピスト入門で読んだ覚えが、、、

ちょっと話は飛んじゃうけど、なんか祈る時間があることが、生きる時間を豊かにするよな〜と。
ホテルで朝食のテーブルのナイフとフォークを、祈りを捧げながら一つ一つ置いていくスタッフさんの静かな姿を思い出しながら考えました。
だってそういう時はかなり心の中はクリーンになってるはずだからね。

髭を剃れと言われた

職場で髭それって言われて、あっはぁ〜んっ、て無視してたけど、違う価値観をどう受け入れるかってことについて考えてる。

 

多様性大事と思っているけど、そうじゃない価値観を押し付けられた時、自分の多様性を受け入れる器ってのが問われてるかも?とか考えている。

そんでそんでね!

 

価値観を上から押し付けてくる人間を誰であろうと毛嫌いしてるわけだけど、それって、自分の世代の生きて来た時代の特徴かも?と思ったり。

知らぬ間にジェネレーションに縛られてるのかも?と自覚。

 

そして、四日市で占い師のおばちゃんが何故かお土産に持たせてくれた到知という経済界の重鎮みたいな人ばっか出てくるような本には、江田島兵学校の懐かしき思い出みたいな、まぁほんと今の多様性の考えの真逆というか、そんな話ばっかで、これまた価値観。

 

う〜ん、こういう価値観の真反対のベクトルのところに僕ら心理はいる、というか嫌やからこういう仕事をしとるんやとも思ったり。

髭剃ったら負けとか、そういう問題でもないな〜とも思ったり。

 

 

そしてテレビでジュネーブなんたらっていう内戦やゲリラ活動をしている反政府組織に人道的配慮を求めて現地に直接会いに行ったり、世界中の反政府組織幹部をジュネーブに集めて会議しちゃったりするNGOがあるんだけど、、、う〜ん、ちょい違うなと思う相手の尊厳を大事にすること、に挑戦する時ってことかな?とかね、考えるわけです。

 

 

あと君の名は、初視聴なのに、つい英語歌詞バージョン字幕入り見ちゃった、、、もっと早く日本語歌詞バージョンで見れば良かったぜい。
凄いと思ったよ。