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「森俊夫ブリーフセラピー文庫② 効果的な心理面接のために」

遠見書房から出ている「森俊夫ブリーフセラピー文庫② 効果的な心理面接のために」がやっと手元に届いた。

 

東豊先生が、面白すぎて仕事進まず困った、と。社長に文句言ってくれ!とSNSに書いていたので、山内さんに文句を言いに行きたいと思います。

 

そいで「知り合いばっか出てるからめっちゃ面白いけど、ぜんぜん知らない人が詠んで面白いのかな?」というような心配をされていたのですが、

 

5ページ読んでみて分かったよ。

 

難しい精神分析の本とかとは全く違う意味で、話している内容のレベルが高すぎて、というか発想の枠自体をとっぱらっていこう、っていうくらいの気概を持って、しかも絶大な質と量と発想の臨床体験の積み上げが前提としてあった上でお互い話しをしているから、「はいはいそーだよね〜」ってツーカーで分かるレベルの人にとっては、そりゃ仕事が手につかないくらい面白い本だと思うけど、実際に森先生に教わったこと(Kidsで研修受けたこと)があったり、ブリーフの考えで臨床をやっていても、相当に背伸びしながら、うんうん考えながら読んでいます。

 

でもね、臨床的エッセンスの宝庫だよ宝庫。宝島ですよ。

 

僕みたいな人間でも、雷に打たれたように、そうかっ!そうだっ!って思う部分がいくつもあって、森先生は「演劇で大事なことと臨床で大事なことと一緒だよ」っていうようなことをすっと言ってらっしゃるんですけど、それはざっくり書くと、まずどこかに人が集まって、何かする人と見る人がいて、一定の時間そこで共に過ごして、肉体そのものを媒介にコミュニケーションをとって、その中でなにかが起こって、そんで別々の岐路につく、こういった演劇の本質や特質の多くの部分が心理臨床にも重なるでしょ、って話なんです。

 

まえこの話、というか演劇と心理臨床に関する論文を読んだときに、この部分は構造のこととして捉えてなるほど、と思っていて。どっちかというと、その中で非日常を体験する、暗闇の中でパッと襟首を急に掴まれるような体験がないと、みたいなところに「あっ、そうか〜」と心惹かれていたのですが。

 

今日その部分読んだら、構造の話じゃなくって、心理療法という行為そのものの目的をそこに置くくらい、誤解を恐れずに言えば、それ以上のことはしたらあかんし、本当にそこだけをやるだけを目的にしなさい、っていうふうに、ズドーンと来たんですよね。

 

もう、超ミニマムにそこだけに集中しろ!みたいな声が聞こえてきた感じ。

 

なんか最近調子悪いというか、前のほうがすっといってたのにと思ってたんだけど、今は目の前の相手のニーズだとか、学校のニーズだとか、利益の最大化とか、あんな介入やこんな介入や考えて、自分はできるだけ裏に回ってとかいろんなことあれこれ考えすぎていて、でもそれはあれこれと目的を膨らめすぎていて、うまくその場で起こったことを相手と体験として共有することができなくなっていたのかなと。

 

あたまでっかちってこと。

 

その場に来たときと帰るとき、そもそも同じ人間でいるはずがない。

 

そこだけに集中したときに何が起こるのか?今までは欲をかいて筋肉つけたけどキレが無くなってる〜みたいな状況。

だからコアトレだよね。

 

そして自分の相談室でやってるとき、これ学校でSCとしてやってたらすぐ良くなるのに、先生方や学校の力使って環境調整できんのは辛いわ〜、俺面接下手くそんなったな・・・とか思ってたけど。

 

自分の相談室ではバックに守りがないから、というか協力して相手を守ってくれる仲間がいないし環境がないから、知らず知らずのうちに無難な手ばかりを選択してしまっていて、思った通り、その「場」で生まれた発想や相手を信じてズバッと大きく踏み込めなかっただけだったんだ、というふうに感じました。

 

怖いけど、信じて踏み込まないと、逆に何してるのかわかんなくなっちゃうってことなんだね。。。

 

難しさを感じつつ、宝島探検を続けます。